えりまとの在る所

人生の質を向上させるため、今日も記録を綴ります。

記録(12月29日)*虚無感は経過地点、終着点ではない

記録(12月28日)

  読書1時間:◎

  瞑想15分:◎

英語学習1時間:◎
  ブログ更新:◎(朝)
     運動:プッシュアップ100回、ジョギング20分、壁ありハンドスタンド2分

       :(Vクランチ15→トランクカール15→ツイストシットアップ20)2回

       :ヒューマンフラッグ10回、フロントレバー練習2回

       :(マッスルアップ→ホールド1分)2回、トーズトゥーザバー30回

               :(マッスルアップ5回→ストレートバーディップス10回)5回

       :アンイーブンチンアップ左右それぞれ10回

 スワイショウ:500回

未回収の良行動:読書759時間、英語学習5時間

回収分の良行動:無し

読んだ本

 虚無感は経過地点、終着点ではない

自分を良くしようと決起して2年が経ちました。

初期は色々な事柄に関心を持ち実践・内省することが非常に楽しかったものです。

 

最近はというと、しょうもない失敗を重ねて躓くことが多く、

成長を感じられない現状と不甲斐ない自分に苛まされています。

新しいことを始めたり、深く内省することも少なくなってきました。

 

 

そんなある日、ふと気づきました。

「あれ、こんなことして何になるんだろう。一切は虚しいだけじゃないか。」

 

 

自己改善の徒が直面した過去最大級の危機。そう、虚無感の到来であります。 

 

この時、同時に誤解もしてしまいました。

「そうか、自分を良くしようとする人間が最終的に得るものは、虚無感なのか」、

「この虚無感が自己改善の終着点なんだ」と。

 

なんとも皮肉なものです。

「より良い方へ行こう」。この結末が「全部無駄でした」なんですから。

何となく気が抜けて生活の質はガックリと落ち、

緩やかに低迷していく日々が続きました。

 

奇しくも、丁度その時に読んでいたのがニーチェの「ツァラトゥストラ」。

物語には虚無感に打ち克ち希望を持った「超人」と、

ヒルで目標を持たない生中な「末人」という概念が登場します。

 

読んでいる時思いました。こりゃ正しく、私は「末人」になってしまったなぁ、と。

しかし同時に、重要な気づきも得られました。

それは題にもある通り、「虚無感は経過地点で終着点ではない」ということ。

 

あくまでも虚無感は中途の試練であって結論ではない。

それを超えた、絶対的に自由な地点が必ずある。理由もなく、そう確信しました。

 

 

現状は相も変わらず冴えませんし、

「継続日数」の諸項目を見てもらえれば分かる通り、自身の舵を取れていません。

それでも、私は自分自身に期待しています。

 

これからも幾度かは虚無感と対峙することもあるでしょうが、

その度に打ちのめして、いつの日にかはコイツを乗り越えられる。

そう感じて今日も記録します。

 

 それでは、また明日。