記録(6月4日)*鈍ったものぐさ、「よく分からない」を放置する
記録(6月4日)
読書1時間:◎
瞑想15分:◎
英語学習30分:×
ブログ更新:◎(朝)
運動:ジョグ50分(計80分)、腕立伏せ300回(計1680回)、
縄跳2000回(計4000回)
食事制限:31日目(6/6まで制限)
スワイショウ:0回(計113500回)
脱怠惰:3日目
未回収の良行動:読書1001時間、英語学習2時間
回収分の良行動:無し
鈍ったものぐさ、「よく分からない」を放置する
「よく分からないことをよく分からないままに放置する癖」
私の生活に潜む「ものぐさ」の1つを発見しました。
(前に挙げた「ものぐさ」は「中途半端に考えを放棄する癖」でした。)
何だか知ってるような気もするけど、何かと問われたら説明できない、
これが私の生活周辺にはやたらと多いのですね。尚、増加傾向にある模様。
知っているようで実は知らないが故に、時間が経過するにしたがって、
その対象近辺の事柄についての認識が曖昧模糊としたカオス状態に突入します。
具象的な事柄が自身の中で抽象的な形を取り続けるためにその度合いを増すのです。
ともすれば、その曖昧模糊な認識が引き金となり、
確立された認識をも濁らせる可能性もあるようにも感じます。
すなわち「生半に知ること」は思考を鈍らせる、と気づいたのです。
先月は今年に入って最も思考が鈍った状態にあり愚鈍の権化と化していましたが、
その原因は中途半端な情報の過剰インプットにあったのかもしれません。
PCを触る時間がかなり増えネット上の文章・動画・音楽その他もろもろのメディアを、
乱読ならぬ乱知していました。おまけに生活リズムもかなり乱れていました。
そんな生活の中では、思考が攪拌されて頭が切れなくなるのも仕方がないですね。
私がこの「ものぐさ」を脱するために出来ることは、
何だろうかと思うことをすぐさま調べ確実に内容を把握することでしょう。
何んとも当たり前のように聞こえますが、私はそれが出来ていなかったのです。
あとは情報をある程度精選することでしょうか。情報の取捨選択ですね。
デジタルデトックスが効果を発揮しそうです。
そんなわけで「よく分からない」を放置しないよう気を付けます。
それでは、また明日。