えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

自戒の運動

f:id:watoma:20190722074154j:plain

自分が決めた規則を守れなかったり、

自分に対する甘えが生じて目標への道が不明瞭になったたりしたときには、

自分を律して正すことが必要になってきます。

お勧めなのが、 きつ~い運動を罰として自分に課すことです。


目次


甘えて生きる、この頃のえりまと

ここ数日の「毎日の記録」のところを見てもらえばわかりますが、

複数の良行動が出来ていません。

これは「甘え」が生じているからです。

 

  • このぐらいやっとけばいいかな?
  • 達成最低限の条件をやれば良い

 

...というような、自分の行動に対する妥協がこの状況を作り出しています。

 

自分のことはなかなか見えないもので、

大抵は他の人から注意を受けたり、他の人を見ることで気づきを得たりして、

自分の行動を見直すことが多いです。

 

そんな私自身だからこそ自分がマズイ状況になっていても、

気づかないというような鈍感っぷりをかましてしまいます。

 

つまり、妥協に気づかずテキトーにやってしまっていて、

最近ようやっとそのことを悟ったのです。

 

はい、この頃の私は自分に甘えて生きていました。

ということで、そのことを改めなくてはなりません。

 

運動で。

 

自戒の運動

私は、

  • 自分に甘えていると感じたり
  • やるべきことが出来なかったとき

には、いつもより運動量を増やすことにしています。

 

もちろん利点があるから行っているわけです。

  • 負の感情が消え去る
  • 体が鍛えられる
  • ストレスが解消できる
  • やる気が蘇る

などが特に感じるその利点ですね。

 

これは自分に対する罰とは言えど、ただの苦行ではなく、

先の自分が有利になるような罰(=修行とも言えるかもしれません)です。

  • いつもはジョギングを20分するところを40分する
  • 筋トレの回数を増やす

などが分かりやすい例ではないでしょうか。

 

成長できる罰

ここで「自分に対する罰」というものは罰を通して自分が成長できることをする

ということが核心になってきます。

 

罰を受ける状態になること自体は良くないことですが、

そこから発展して大きく前進できるというのであれば、

その罰も成長の重要な要素になってくるのではないでしょうかね。

 

ひとまず「自分は自分を甘やかすことが多い人間だ!」

と思う方は、成長できる罰をその都度組み込んでいくことをお勧めします。

 

何度も言いますが一番良いと感じるものは運動です。

 

 

毎日の記録

継続日数
一日の総合評価
精神状態良好度
身体状態良好度
出来なかった良行動
40
7
7
7
4つ
快朝度
ストレス度
自己統制力
縄跳回数
懸垂回数
3
5
3
3000
17

7月21日

出来なかった良行動:瞑想15分、デジタルデトックス、食事制限、読書

未回収の良行動  :読書3間、瞑想15分、縄跳び2000回(追加分)

回収分の良行動  :無し

 

最近の自身へ対する「甘え」を反省して、縄跳びで飛び跳ねまくることにしました。

ジョギングを2倍にするというのも、たまにやることですが(月に3回程)、

「縄跳びの方が短時間で疲れそう」というテキトーな理由で取り組むことに。

 

「1日分の甘えは縄跳び1000回分に相当しそうだ」と勝手に考え、

土、日に甘えて過ごした分の1000回分を2セット、ついでの1000回をさらに加えて、

計3000回を跳びました。

 

この記事の題名でもあるように自戒の運動です。

 

思ったんですけど、

デジタルデトックス失敗したら縄跳びも1000回分加算すべきですね。

 

規制力が足りてない気がするんですよ、読書1時間を加算するだけでは。

ということで、

  • デジタルデトックスに失敗した日の分だけ、縄跳び2000回

というのを新しいルールとして追加することにします。

 

では、今から運動してくることにします。

縄跳び2000回は正直キツイなぁ。

 

それでは、また明日。