努力から生じる苦しさが和らいだら
努力に苦しさはつきものです。
否、苦しさがあるから努力と成るのでしょう。
しかし、そんな努力に伴う苦しさも時間に伴って和らいでくることもあります。
それは、苦しみからの解放という点では良いのかもしれませんが、
努力で成し得たいことを考慮したときには態度を改める必要があるかもしれません。
目次
努力から生じる苦しさが和らぐのは
努力による苦しさ、辛さ、鬱憤、そういった感情や思考が和らいでくるときとは、
どのような状況にあるときなのでしょうか?
やはり何かしらの理由があるのでそうなってしまうのです。
恐らく答えは以下の2つです。
- そもそも努力から逃げている
- 自分が成長した
苦しさが和らぐ理由を書いた非常に簡潔な答え、”sinple is best”です。
ということで、それぞれについてもう少し詳しく見ていきましょう。
1.そもそも努力から逃げている
努力=修行
まず、ここでの努力の意味を決めておきます。
努力は修行です。
別段、滝に打たれるわけでも、世俗から離れるわけでも、
食を慎むわけでもありません。
...あ、いや私は近いことやってるかもしれませんが。
(豪雨の中でランニング、デジタルデトックス、急進的な小食)
ともかく、努力とは修行であり、厳しく辛いことなのです。ここでは。
そんな辛いものですから、当然逃げたくもなります。
当初は意欲があっても続くわけじゃありませんし、
調子が優れないときもありますし、やりたくないときだってある筈です。
例えば、
「暫く続けている努力が一向に身を結ぶ気配がない。もう何だかやる気がなくなってきた。こんなことに意味があるのか?楽しくなんかないし...」
と思うときがあるとしましょう。
すると、思考に住み着く小さい悪魔が耳元で、
「おい、お前さんよぉ、最近疲れてんじゃないのか?少しばかり休んだらどうだ?
体がもたないぞ、頑張るためには頑張らないことも大切なんじゃないかぁ?」
と甘く囁き始めるのです。(この文面だと、あまり悪い奴には見えないですね。)
一方、思考に宿る小ぶりな天使が反対の耳元で、
「騙されてはなりません!いいですか、苦しさや辛さを乗り越えることにあなたの望む未来があるのですよ!ですから諦めず地道に抜かりなく継続していきましょう!」
と注意を喚起します。
あなたならどちらの言葉を信じますか?
(正直、私からするとこの2つの意見はどちらも全うであると感じますが)
しかし、前提条件を見てみると、
最早努力の意味を見出せなくなっている軽い無気力状態になっています。
悪魔の甘言に従うのもわけないですよね。
よって努力の放棄、もしくはその最悪の状態を避けれたとしても、
形だけの中身の無い努力をしてしまうことになるのです。
そして努力(=修行=苦しみ)から逃げれば勿論のこと苦しみから解放されます。
それが良いことなのか悪いことなのかは、その人次第ですが。
うーん、ですから「苦しみが和らぐ」というのとは、少し意味合いが異なりますね。
上述したようにあくまで苦しみから解放された、だけになるでしょう。
2.自分が成長した
お次はこちら。本題です。
これは努力を積み重ねることによって自身が成長し、
今までは労力を要することが簡単になったことを示しています。
そして努力が努力で無くなったが故に苦しさが和らぐのです。喜ぶべきことですね。
努力から生じる苦しさが和らいだら
1の状態であるならば、努力の仕方に目を向けて改善していきましょう。
努力のフリを即刻辞めるのです。
逃げることはあっても何度でも折れずに立ち向かう心があれば出来る筈です。
過ちを潔く認め自分が今すべきことを、何故するのかを確認して、
ゆっくりでいいのでまた少しずつ前進していければいいのですから。
2の場合であるなら、自分の成長を心から喜んで次の段階への支度をしましょう。
努力が自分に対して相応のものでなくなっているので、
自分にとって厳しいであろう新たな努力目標を掲げて取り組むのです。
いくら成長したとはいえ、前進することを止め呆けていては、
いずれまたもとに戻ってしまいます。油断はいけません。
努力から生じる苦しさが和らいだら、
苦しさを感じる努力を再度実践していきましょう。
自戒の念を込めて。
毎日の記録
出来なかった良行動:デジタルデトックス、入浴後ストレッチ、詳細な記録
未回収の良行動 :デジタルデトックスの失敗により加算された読書1時間
回収分の良行動 :無し
7月20日
詳細な記録なし。
概して、小規模な怠惰がえりまとを襲う、そんな1日でありました。
誠に遺憾なことでございます。
それでは、また明日。