えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

記録(2023年1月18日)*読書メモ

読書

1時間(18時間/月)

運動
  • ダンベルカール(12.5)
    • 11, 10×9
  • マウンテンクライマーツイスト
    • 30、20
起床時刻

7:30起床

 

「人間のもつとも悲痛の表情は涙でもなければ白髪でもなし、まして、眉間の皴ではない。最も苦惱の大いなる場合、人は、だまつて微笑んでゐるものである。」

太宰治狂言の神』

 

 

大家にならずともよし、傑作を書かずともよし、好きな煙草を寝しなに一本、仕事のあとに一服。そのやうな恥かしくも甘い甘い小市民の生活が、何をかくさう、私にもむりなくできそうな氣がして来て、俗的なるものの純粋度、といふ緑青畑の妖雲論者にとっては頗るふさはしからぬ題目について思ひめぐらし...

太宰治狂言の神』

こういう心持でありたい。

 

 

踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの気遣も起る。戴くは天と知る故に、稲妻の米噛に震う怖も出来る。人と争わねば一分が立たぬと浮世が催促するから、火宅の苦は免れぬ。

夏目漱石草枕』六

「人の世が生きにくい」の続き。

 

いわゆる楽は物に着するより起るが故に、あらゆる苦しみを含む。ただ詩人と画客なるものあって、飽くまでこの待対世界の精華を嚼んで、徹骨徹髄の清きを知る。霞を餐し、露を嚥み、紫を品し、紅を評して、死に至って悔いぬ。彼らの楽は物に着するのではない。同化してその物になるのである。その物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は茫々たる大地を極めても見出し得ぬ。

夏目漱石草枕』六

「もの」への執着は苦しみを生む。

ただ、詩人とか画家と言った芸術家は、「もの」に執着するのでなく、

その「もの」を食べて自分自身と同化させてしまう。

 

それでは。