記録(2022年8月25日)*読書メモ(8/25/2022 夏目漱石『それから』)
記録(2022年8月25日)
読書1時間 | ◎(計3時間) |
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英語学習15分 | ◎ |
運動 |
ジョグ20分、日替わりプッシュアップ100回 ストレートバーディップス100回 リバースグリップストレートバーディップス100回 ブルガリアンリングディップス100回 HIIT(Bicycle Crunch→V-Up→Hollow Body Rock→Mountain Climber→V-Up→Leg raises→V-Up→Trunk Curl→russian twist)各40秒計6分 |
未回収分 |
読書607時間(8月の読書時間計60時間) |
読んだ本 |
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起床時刻 |
6:00起床 |
読書メモ(8/25/2022 夏目漱石『それから』)
不意にやってきた平岡と会話する中で、
代助は彼との間に心理的な隔絶があることを感じた。
さらに敷衍して社会の人々に対しても同様であると代助は感じている。
現代の社会は孤立した人間の集合体に過ぎなかった。大地は自然に続いているけれども、その上に家を建てたら、忽ち切れ切れになってしまった。家のなかにいる人間もまた切れ切れになってしまった。文明は我等をして孤立せしむるものだと、代助は解釈した。
夏目漱石『それから』八章 119頁
『それから』が執筆されたのは1900年代初頭。
つまり100年前に漱石は「現代社会に生きる人間は孤立している」と感じたようです。
文明の発展に伴って人々は孤立していくとなれば、
2022年現在の人間はどれほど孤立しているか知れたもんじゃありませんね。
代助は人類の一人として、互を腹の中で侮辱する事なしには、互に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでいた。そうして、これを、近来急に膨張した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促がしたものと解釈していた。又これをこれ等新旧両慾の衝突と見做していた。見傚していた。最後に、この生活慾の目醒ましい発展を、欧州から押し寄せた
海嘯 と心得ていた。 夏目漱石『それから』九章 121頁
道義欲:日本古来の欲。儒教、武士道など、そのあたりの義を重んずる欲?
生活慾:西洋由来の欲、社会で通用するために必要となる欲。道義欲と反対の性質?
↓
欧米化によって、道義欲と生活慾が衝突。
この変化によって「人々は互いを腹心で蔑みつつ応対する」ようになった。
→代助は「二十世紀の堕落」と名づける。
「自分は何のために生まれてきたか」という問いに対しての代助の回答。
彼の考によると、人間はある目的を以て、生れたものではなかった。これと反対に、生れた人間に、始めてある目的が出来て来るのであった。最初から客観的にある目的を拵らえて、それを人間に附着するのは、その人間の自由な活動を、既に生れる時に奪ったと同じ事になる。だから人間の目的は、生れた本人が、本人自身に作ったものでなければならない。けれども、如何な本人でも、これを随意に作る事は出来ない。自己存在の目的は、自己存在の経験が、既にこれを天下に向って発表したと同様だからである。
この根本義から出立した代助は、自己本来の活動を、自己本来の目的としていた。歩きたいから歩く。すると歩くのが目的になる。考えたいから考える。すると考えるのが目的になる。それ以外の目的を以て、歩いたり、考えたりするのは、歩行と思考の堕落になる如く、自己の活動以外に一種の目的を立てて、活動するのは活動の堕落になる。従って事故全体の活動を挙げて、これを方便の具に使用するものは、自ら自己存在の目的を破壊したも同然である。
夏目漱石『それから』十一章 150頁
「行動」→「目的が生まれる」:人間に適うあり方
「目的」→「行動」:人間の堕落
上の続き。
餓えたる行動は、一気に遂行する勇気と、興味に乏しいから、自らその行動の意義を中途で疑う様になる。彼はこれをアンニュイと名けていた。
夏目漱石『それから』十一章 151頁
明瞭さに欠ける行動をするのはどうにも心が浮つく感じがあって心地よくありません。
確かにそういう時ってアンニュイになりますね。
代助の父はある資産家父はその令嬢と代助を結婚させるつもりである。
代助はその令嬢の写真を前もって見ているが、当の本人を見てもどうもぴんとこない。
写真は奇体なもので、先ず人間を知っていて、その方から、写真の誰彼を極めるのは容易であるが、その逆の、写真から人間を定める方は中々むずかしい。これを哲学にすると、死から生を出すのは不可能だが、生から死に移るのは自然の順序であると云う心理に帰着する。
夏目漱石『それから』十二章 179頁
パターンの羅列から精神的作用を及ぼすものを作るのが「読む」という行為です。
ということで「死から生を出す」ものには文章が当てはまるんじゃないですかね。
...読了しました。最後の20頁の勢いが圧巻ですね。
友人の妻を奪う決意をし、それを友人や家族に白状していく場面なのですが、
緊張感が凄まじかったです。張り詰めた雰囲気が強く心臓を握るような感覚で、
読んでいるこっちも代助の様に狼狽してしまいました。
『こころ』や『門』は手紙や回想の中で登場人物の罪が明らかにされていきますが、
『それから』では、リアルなテンポで主人公が色々と考えたり煩悶したりし、
最終的に罪を犯すに至るようになるのが詳らかに語られていきます。
こういうライブ感のために、より緊張感があり生々しい話だと感じられるのでしょう。
前期三部作、『三四郎』、『それから』、『門』はこれで読み終えましたが、
一番えげつないのは『それから』ですね。少なくとも個人的にはそう感じました。
最後に読んで良かったかも。
それでは、また明日。