えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

記録(2022年8月24日)*読書メモ(8/24/2022 夏目漱石『それから』)

記録(2022年8月24日)

読書1時間 ◎(計3時間)
英語学習15分
運動

ジョグ20分、日替わりプッシュアップ100回

ストレートバーディップス100回

リバースグリップストレートバーディップス100回

ブルガリアンリングディップス100回

HIIT(Bicycle Crunch→V-Up→Hollow Body Rock→Mountain Climber→V-Up→Leg raises→V-Up→Trunk Curl→russian twist)各40秒計6分×2

未回収分

読書609時間(8月の読書時間計57時間)

読んだ本
起床時刻

6:00起床

読書メモ(8/24/2022 夏目漱石『それから』)

高等遊民(大卒だが資産を持っているため職に就かない人)である、長井代助。

彼は実家のお金を貰い独り身で悠々自適に暮らすが、

父親はそのことをよく思っていない。以下は、代助と得(父親)が会話する場面。

「三十になって遊民として、のらくらしているのは、如何にも不体裁だな」

代助は決してのらくらしているとは思わない。ただ職業の為に汚されない内容の多い時間を有する、上等人種と自分を考えているだけである。

夏目漱石『それから』三章

高等遊民」という造語は面白いですね。

高等遊民は世俗から身を一歩引いてその時間の多くを読書に費やす...

とのことですが、そうなると尋常ならざる思想を確立しそうです。

この後の展開で代助の高等遊民らしい思想が続々と語られています。

 

学生時代の友人、平岡との会話の場面。代助の考え。

鍍金を金に通用させようとする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である。と今は考えている。

夏目漱石『それから』六章

体面を取り繕ろうとするより、自然体であるほうがよっぽど良い、と。

私の場合、そういう自覚があれば、本物の金になれるよう努めます。

 

平岡との会話の続き。

「・・・君は世の中を有のままで受け取る男だ。言葉を換えて云うと、意志を発展させる事の出来ない男だろう。意思がないと云うのは嘘だ。人間だもの。その証拠には、始終物足りないに違いない。僕は僕の意思を現実社会に働き掛けて、その現実社会が、僕の意志の為に、幾分でも、僕の思い通りになったと云う確証を握らなくっちゃ、生きていられないね。そこに僕と云うものの存在の価値を認めるんだ。君はただ考えている。考えているだけだから、頭の中の世界と、頭の園との世界を別々に建立して生きている。この大不調和を忍んでいる所が、既に無形の大失敗じゃないか。・・・」

夏目漱石『それから』六章

平岡:意思をもって外界に働きかけ変化させることに価値を認める

代助:意思は持つが、ただ自身の内的深化を進めるだけで外界に働き掛けない

(そのように平岡には感じられる)

 

それでは、また明日。