えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

記録(2022年8月19日)*読書メモ(8/19/2022 夏目漱石『虞美人草』)

記録(2022年8月19日)

読書1時間 ◎(計2時間)
英語学習15分
運動

ジョグ20分、日替わりプッシュアップ100回

リバースグリップストレートバーディップス100回

ブルガリアンリングディップス100回

HIIT(Bicycle Crunch→L-sit→V-Up→Trunk Curl→Flutter Kicks→Squats)各15秒計1分30秒

未回収分

読書623時間(8月の読書時間計38時間)

読んだ本
起床時刻

6:50起床

読書メモ(8/19/2022 夏目漱石虞美人草』)

 

夜、宗近兄弟と甲野兄弟はイルミネーションを見に行く。

「ねえ、糸公、まるで竜宮の様だろう」

「本当に竜宮ね」

「藤尾さん、どう思う」と宗近君はどこまでも竜宮が得意である。

「俗じゃありませんか」

「何が、あの建物がかね」

「あなたの形容がですよ」

「ハハハハ甲野さん、竜宮は俗だと云う御意見だ。俗でも竜宮じゃないか」

「形容は旨く中ると俗になるのが通例だ」

「中ると俗なら、中らなければ何になるんだ」

「詩になるでしょう」と藤尾が横合いから答えた。

「だから、詩は実際に外れる」と甲野さんが云う。

「実際より高いから」と藤尾が注釈する。

「すると旨く中った形容が俗で、旨く中らなかった形容が詩なんだね。藤尾さん無味くって中らない形容を言って御覧」

夏目漱石虞美人草』169~170頁

 

そもそも「俗」とは何か。

俗=”世にありふれ、一般的で、つまらないもの”となりますかね。

 

旨く中る形容=多くの人に理解できる形容(単純な解釈が出来る形容)

...だからこそ旨い形容は俗だということでしょうか?

 

旨く中らなかった形容=解釈の仕方が多様になる形容(それでも本質を突いている)

→味わいのある詩となる

 

 

それでは、また明日。