えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

記録(2022年7月21日)*読書メモ(7/21/2022 夏目漱石『吾輩は猫である 下』)

記録(2022年7月21日)

読書1時間 ◎(計2時間)
英語学習15分
運動

ジョグ20分、日替わりプッシュアップ100回

HIIT(Bicycle Crunch→L-sit→V-Up→Trunk Curl→Flutter Kicks→Squats)各15秒計1分30秒

未回収分

読書654時間(7月の読書時間計50時間)

読んだ本
起床時刻

6:40起床

読書メモ(7/21/2022 夏目漱石吾輩は猫である 下』)

苦沙弥先生(猫の主人)の生徒が相談をしにやってきた。

「どうしたら良いでしょうか?」と泣き出しそうにしながら助けを乞う生徒。

しかし苦沙弥先生、「そうさなあ」と繰り返すばかりで、

一向に解決してやろうと関心を持つ気配がない。

冷淡は人間の本來の性質であって、其性質をかくそうと力めないのは正直な人である。もし諸君がかゝる際に冷淡以上を望んだら、夫こそ人間を買い被ったと云はなければならない。

夏目漱石吾輩は猫である 下』十章

「他者に対して冷淡であるのが正直なこと」とは、かなりドライなことを言いますね。

 

 

 

苦沙弥宅にて、迷亭(美学者)と獨仙(哲学者)が碁盤を前に向かい合っている。

碁盤を基に猫は「人間」について述べる。

碁を發明したものは人間で、人間の嗜好が局面にあらはれるものとすれば、窮屈なる碁石の運命はせゝこましい人間の性質を代表して居ると云っても差支ない。人間の性質が碁石の運命で推知する事が出来るものとすれば、人間とは天空海闊の世界を、我からと縮めて、己れの立つ兩足以外には、どうあっても踏み出せぬ様に、小刀細工で自分の領分に繩張りをするのが好きなんだと斷言せざるを得ない。人間とは强いて苦痛を求めるものであると一言に評してもよかろう。

夏目漱石吾輩は猫である 下』十一章

自ずから苦汁を嘗めようとしてしまう人の愚かさを説いています。

前回の記事に書いた「自ら苦しみを作るというのが人間の本質」というのと、

同じような内容ですね。

 

 

それでは、また明日。