えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

記録(2月24日)*過去との対峙

記録(2月24日)

  読書1時間:◎(計3時間)

  瞑想15分:◎

英語学習30分:◎(計5時間)
  ブログ更新:◎(朝)
     運動:無し

   食事制限:11日目

未回収の良行動:読書169時間

回収分の良行動:読書2時間

過去との対峙

ここ半月ほど、ふとした時に過去のことを思い出したり何かを懐かしがったり、

また仲の良かった人々が夢に出てきたりすることがよくあります。

なかんずく5~6年前の出来事がピンポイントで想起されるのです。

 

丁度その当時の私は...

「自制の欠片もなく欲望に従順で、努力が大嫌い。やりたいことだけをやる。」

...というようなエゴの暴力みたいな人間でありました。

その有様は今の私と正反対だったと言えるでしょう。多分。

しかし同時に、その後に自分の中の価値観が大きな転換を迎えたときでもありました。

 

最初は「昔のことを懐かしがってるなぁ、あの頃は楽しかったなぁ。」

...なんて思っていましたが、どうも思い出す頻度が高い。やたらと思い出す。

そして考えたのです。「今に生かせる何かが暗示されているのではないか?」と。

 

2014年~2016年の記録(赤裸々と思いを綴る日記がたまたまあった)を顧みて、

その当時の心情、行為、習慣を追って分析しました。

自分の中で何かが変わったことは覚えていましたが、

それが具体的にどのような形として現れてきたのかを探ったのです。

 

すると転換期を迎えた前と後の記述では大きな差が見られました。

転換期を迎える前は気ままに生きて常に楽しんでいるかのような記録でしたが、

転換期を迎えた後は低い自己肯定感、ニヒル、苦しみ、後悔...

といった負の要素とでもいうべきものを中心に記録を始めるようになっていたのです。

(因みにですが、今はニュートラル寄りではないでしょうか)

 

私としてもその負の要素が強調されるようになってからの自分が、

今の自分と直接的につながりを持っているという感覚がありました。

(年数の経過から当然と言えば当然ですが)

なので転換期の前後の違いが分かったときにただただ納得しましたね。

 

転換期を軸として変化の概略は理解できたのですが、まだまだ何かありそうです。

この機会に真剣に過去と対峙して内省を深めていくことにします。

 

それではまた明日。