ともかく行動を
情報収集は大事ですが、それに固執すべきではありません。
何か気になったり、挑戦してみたくなったりしたならば、
四の五の言わずにともかく行動を起こしてみることにしましょう。
目次
ともかく行動を
少し前までの私は、とにかくただの情報収集屋でした。
気になることについて、根掘り葉掘りと調べまくり、
また興味のあることについての本を読み漁りました。
ブログの記事やら自己啓発本などですね。
そのときは、その行為の意味についてはき違えていたのです。
何かを知れば、ただそれだけで
- 現状が改善される
- 自分の価値が上がる
...と。
私の場合だと、このようにして外から情報を得ることばかりで、
実際に中身のある、または継続した行動が出来ていなかったので、
はっきり言って、無意味だったんですよね。この調べて知るという行為が。
とは言え、ただ知るという行為が全て意味がないわけではありません。
文章自体を楽しむ小説を読んだり、過去の思想家達の本を読むことは、
この知るという行為自体に意味があると考えています。
ただ、「実践的な内容の記述」の場合には読むだけでは意味がありません。
そこでは、
- 知って→行動を起こす
という手順を踏むことで、やっと意味を成せることが前提となっている筈です。
私はその内容を読んで知っただけで気分が高揚し、
やった気になっていただけだったのでした。
そして、ただただ実践的な知識を詰め込むことを繰り返しているうちに、
「この行為にはあまり意味はない」と頭と心で理解できるようになり、
ついには、「調べるだけのこと」を止めたのです。
代わりに今は、何か調べる以上に行動を起こすようにしています。
「何か気になる行為」が見つかったならば、
前までならばそれについて深く詮索し、その場で足踏みを長らく続けていましたが、
今はその主要な部分だけを理解してあとは、
習慣の軌道に乗せてみて実践するようにしているのです。
そうして実際に行動し体験してみると、
「何か気になる行為」についての是非の判断や改善点、
自分に合うか合わないか、継続していくべきかどうかが良く分かり、
その「何か気になる行為」の実態に迫ることが出来るように感じています。
逆に知るだけでは曖昧模糊としていて分からないことが結構多いです。
なぜそんな知識と体験に差が生じるのかと問われれば、
知識と体験には、得る情報量に越えがたい壁があるからだと答えるでしょう。
知識は他人の体験を媒介として知るものですが、
体験は、自身の五感を通して理解することが出来ます。
より鮮明に、他人のモノから自分のモノとして取り組むことも出来るのです。
故に、何か気になることや興味を抱くことを発見したら、
ともかく行動に移してみるべきだと述べているのです。
毎日の記録
8月8日の記録
出来なかった良行動:読書1時間
未回収の良行動 :読書1時間×6、瞑想15分
回収分の良行動 :無し
リンゴ酢を飲み始めました。体に良さそうだと思ったからです。
量はテキトーですが、結構多めにドバドバと入れて、
ルイボス茶で希釈して飲んでみてみました。
これはルイボス茶を溶媒にしたからなのかは分かりませんが、
混ぜた後に少し放って置いたら分離(?)して、
底の方に細かい固形物質が堆積していました。
まろやか~な感じのお酢でした。全然リンゴっぽくは無いんですね。
てっきり、リンゴっぽいのかと思っていました。
リンゴ酢による良い健康効果が結構あるみたいなので期待です。
継続によって効力を発揮しますから、なるたけ毎日飲んでいきます。
それでは、また明日。