何のための目標と努力か?
人生において、夢や目標を持ちそれに向かって突き進むことは大変良いことです。
同じ行き先を目指す人はいても、その情熱の根元にあるものは人それぞれしょう。
そこで我々は、何を根底として目標を持ち努力をしていくべきなのでしょうか?
目次
何のための目標と努力か?
目標や努力を成すための意志の根元、
「何故そうしたいと思ったのか?」という部分が、
のちに自身の理想の達成の上で大変大きな影響を与えるのではないかと感じています。
そして、それらは、
- 自分の利益を追求するもの
- 他人の利益を追求するもの
に大別されるでしょう。
今までいろんな人の話を聞いてきたり、本を読んできて気づいたことがありまして、
それというのも真に成功している人は、
後者の「他人の利益を追求するため」の夢や目標を持ち、
それに向かって我武者羅に突き進んでいるということです。
初めは利己的なものが多いのかもしれませんが、
ある程度実績が残せるようになってきたときには、
利己的なものから利他的なものを情熱の根源として変化させられるかで、
その後も功を成すかどうかが変わってくるように思うのです。
そのことが真実だとしたらば、
「利他的な動機を基に頑張ればいい」ということになりますが、
どうやったらその域に達することが出来るんでしょうかね?
恐らく、
- 自分に対する絶対的な余裕を持つこと
で他者の利益を望むことが容易になるような気がします。
私の場合そうなるための条件を述べるとすれば、
ひとまずは、四の五の言わずに自分の出来ることを真摯に取り組んでいく、
ということでしょうね。
毎日の記録
8月2日の記録
出来なかった良行動:無し
未回収の良行動 :読書1時間×2
回収分の良行動 :無し
自分の努力に対する認識の甘さと不足を実感した日でした。
「毎日取り組んでいることが形だけのものであった」ということを、
はっきりと告げられたように感じた出来事があったのです。
「私は今まで何のためにこれをしていたんだ...」
ついそう思ってしまいましたね。
しかし私は気づきと正しい努力と継続の力を信じます。
ですから弱音は弱音で終わらせはしません。
弱音の後には次へ繋げる言葉を添えるのです。
「でも、自分の行いが間違っていたとしても、継続したという事実は揺るがない。
正しい術を身に着けてまた道を辿っていこう。」
自己を顧みて少しでも強くなっていかねばなりませんね。
それでは、また明日。