えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

抽象化して幸せ受容力の高い人間になろう! 後編

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前々回、前回と引き続いての今回です。

鍵となってくる内容「幸福の水準」であります。


目次


抽象化して幸せ受容力の高い人間になろう!

前回、

幸せ→生

不幸せ→死

という幸せの判断基準を決めました。

 

そこで、幸せ受容力のことにもう一度立ち直って考えてみると、

この幸せの判断基準を取り入れることが出来れば、

幸せ受容力が非常に高くなりそうです。

 

この判断基準を自分のものにさえすれば、

直近に死に至るような事柄以外であれば、

どのような事柄でも幸せであると感じられるからです。

 

ここで「完璧主義の悲観論者」と、

「抽象化した幸せの判断基準を持つ人」(=「幸福抽象者」と記述します)を例に、

「大事な局面で失敗した」ときにどのような精神状態になるのかを考えてみましょう。

 

完璧主義の悲観論者「失敗した。大切な場面だったのに、もう取り返しはつかない。

今までの努力が水の泡だ。無念。」

 

幸福抽象者「失敗した。だけど、すぐに死ぬわけじゃないし問題ないな!

あぁ!生きてるだけで幸せだ!」

 

うーん、まぁ実際これらの人たちがこのような思考を発想するかは分かりませんが、

きっとこんな感じなんじゃないでしょうか。

 

何でもかんでも否定的に考える悲観論者の言い分と、

幸福抽象者の物事に対する異常なまでのポジティブシンキングっぷりは、

表現が激しい喜劇のようですがね。

 

ここで伝えたかった核となる内容は、

幸せという概念を抽象化することで幸せに対する水準を著しく下げ、

不幸せに対する水準を著しく引き上げることが出来たら、

人生に不満を感じたり必要以上に不安を感じたりすることはなくなるんじゃないか

ということです。

 

これなら実践することはまだ容易いでしょう。

 

余談 「幸福」を設定することは自分を騙すのでは?

 

「結局それは幸せを塗り替えて自分を騙すことではないか?」

 

そうかもしれませんね。本心でそう思えるようにならない限りは。

心の底から幸福の水準を変えることが出来ていなければ、

表面だけ繕うだけで自分自身を欺くことと同義でしょう。

 

ですので、今回の主題の初めの記事の冒頭の記事には、

「心構え1つで幸せになることが出来るとは考えるが、

そうなるための難易度は高いだろう」と述べたわけですが。

つまり、幸福の水準を自由に変える方法はまだ分からないということですね。

すみません、只今模索中です。

 

ただ1つ疑問に思うことが、

水準の高い幸福の理想を掲げてそのために生きる人間と、

水準の低い簡素な幸福の在り方を持つ人間は、

結果的にどちらがより本当の「幸せ」にたどり着くことが出来るのかということです。

 

皆さんはどう考えますか?

 

私は、どちらが正解とは断言できません。

強いて言えば両方の要素を併せ持った形がその答えかもしれないということですかね。

 

これは、人生が終わりを迎えるその最中に初めて悟れることなのかもしれません。

 

ひとまず今回のことで分かったことは「幸福についての正しさ」を求めることはあまり意味をなさないかもしれない、ということですね。

 

「正しい幸福を目指して生きる」よりも「ただ愚直に今を生きようとすること」

の方が大事なのかもしれません。

 

私は、今を大切にしていきたいと思います。

 

ざっくりとしたまとめ

さて、3回に分けて長ったらしい文章を、

たらたらたらたらと引き延ばしに引き延ばして書いてきました。

(本当は1つだけの記事にする予定でした。)

 

しかも、最後の最後で本文とは脱線した内容で締めてしまったので、

余計にとっ散らかってしまいましたね。

(まぁ「気ままにのんべんだらりと綴る」が旗印のブログなので悪しからず。)

 

「言いたいこと」非常に平易なものなんです。

なので、久々に「まとめ」の文章を差し込むことにします。

ぶっちゃけ、ここだけ見れば後は見なくても良いかもしれません。

 

 

「抽象化して幸せ受容力の高い人間になろう!」のまとめ
  • 「幸せ受容力」とは幸せを感じられる度合いのこと
  • 「幸福」という概念を抽象化して、それを基準にすると「幸せ受容力」の高い人間、すなわち年中幸福人間になれる
  • 「幸福」の概念を抽象すると「幸福」=「生きていること」
  • つまり「生きていれば」どのような状況でも幸せだと感じれる基準を持てばより人生は豊かになる
  • 内容を一行でまとめると...
  • 「幸福」の水準を下げて「不幸」の水準を引き上げてしまおう!

毎日の記録

7月26日の記録

継続日数
一日の総合評価
精神状態良好度
身体状態良好度
出来なかった良行動
45
8
9
8
無し
快朝度
ストレス度
自己統制力
縄跳回数
懸垂回数
6
3
9
4500
22

出来なかった良行動:無し

未回収の良行動  :無し

回収分の良行動  :無し

 

縄跳回数が前日の5倍になってますね。ドーピングかな?

というのも、この日はやたらと元気だったんですよね。

 

朝しっかり食べたからかもしれません。昼は抜きましたがね!

そして、日中フルパワーで活動することができたのです。

夕暮れ頃になってもお腹も空かないだけでなく、やる気に満ち満ちていました。

 

ふと「おいしく夕飯が頂きたいなぁ」と感じたので、

エネルギーを無駄に消費しようと思い立ち縄跳をしました。

約30分、回数は約3500回です。(残りの1000回は朝に跳びました。)

 

ぴょんぴょん飛び跳ね汗もかいて程よく疲れることが出来たので、

夕飯を非常に美味しく食べることが出来ました。

 

...というのが、この日の縄跳にまつわる話なんですが、

えりまと自身の最近の変化として、

  • 運動量の増加
  • 食事量の増加(1回分の)

の2つが主なものとして感じられています。

 

一定の運動をこなして食事を減らすと「燃料切れ」になることがしばしばあったので、

少し多めに食べるように意識することにしました。

しかも、運動量を増やしているところですからね。

夏バテとかなりたくありませんし。程よく食べることにしています。

 

ともかく、これらの付加行為の継続によって、

何か今とは全く別の新しい状態になれそうなので、

自分がこれから一体どんな変化をしていくのかが楽しみです。

 

ひたすら無心に。置かれた状況に左右されず積み重ねていきます。

 

それでは、また明日。