幸せはどこにある?
幸せはどこにあるでしょうか?
財産?名誉?愛?承認?恒久的平和?孤独?団欒?昼寝?
どれにせよ、そこに幸せがあると感じているなら確かにそこに幸せがあるのでしょう。
でも、幸せを望んでいるうちには幸せを得ることができないかもしれません。
幸せはどこにある?
冒頭でも述べたように「幸せはどこにでも存在し得る」というのが私の答えです。
自分が生きている意味や喜びを確かに感じ取れるその瞬間に、
幸せは姿を現すんじゃないでしょうか。
ですので、恐らく、どんなことにも幸せは在ると考えます。
「幸せ」を「幸せ」として認識できるかはまた別の話ですが。
えりまとが「幸せ」を感じていたとき
少し私の話をさせて下さい。
小中学生のころ私はゲームが大好きでした。
一時期は四六時中ゲームのことばかりを考えていたような学生だった気がします。
今改めて思うと、ゲーム依存症と言えるような傾倒っぷりでした。
でも、当時ゲームをプレイしているときは本当に楽しかったと今でも覚えています。
傍から見れば病的な様でしたでしょうが、
私はゲームをプレイするときを至上の喜びにしていました。
確かにそこには「幸せ」があったのです。
生憎、今は熱が冷めてしまったのかゲームで遊ぶことが殆どなくなってしまいました。
そして「ゲームに熱中する」という「幸せ」さえも失ってしまっているのです。
ですので、今はもう一度そのときのように心からいつまでも熱中できることを探しています。
...とまぁ、ここで言いたいのは、本当にどんなことにも幸せは在るということです。
幸せの切望は幸せを遠ざける?
ただし注してほしいのが、
「幸せ」を手に入れようとあまりにも意気込んでしまうことです。
それで自分の思い通りになるのであれば全く問題が無いのですが、
「いくら頑張っても幸せにはなれない」というようなことを感じているのであれば、
恐らく手段が間違っていると思われます。
本来幸せは過去に在った幸せや未来に在るであろう幸せを求めるべきではありません。
何故なら、我々は今を生きているからです。
「幸せが遠くにある希望のようなもの」だと感じるのあれば、
それは陽炎のように掴むことの出来ない虚像になってしまいかねません。
「何が幸せになるかそして気づくか」は人それぞれですが、
先から述べるように幸せはどこにでもあるのですから、
やはり今この瞬間にその幸せを発掘すべきなのです。
気負いすぎずに、力を抜いてみると見えてくるものがあるかもしれませんね。
気楽に幸せを探していきましょう。
毎日の記録
継続日数 | 一日の総合評価 | 精神状態良好度 | 身体状態良好度 | 出来なかった良行動 |
---|---|---|---|---|
未回収の良行動:無し
回収分の良行動:無し
7月16日
最近は現状維持をすることばかりを気にしてで、
飛躍的な成長を得られるような取り組みをすることがあまりありません。
固定された事柄のみを機械的にやっているだけなのです。
こういった考えが出てくるということは、
良行動をある程度こなせるようになり余裕が生まれているということだと言えます。
今は「心身の成長」に繋がるような行動を様々な観点から模索して、
取り入れていくときなのかもしれません。
それでは、また明日。