えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

恐れず挑戦する心

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コンフォートゾーンの周りに鉄壁があるえりまとです。

「挑戦」はしたいですが、私はそのことに対する非常に強烈な拒否反応を示してしまいます。そうです。きっと挑戦が恐くてたまらないのです。

でも、 挑戦の先には考えもしなかった褒美があります。



コンフォートゾーンから抜け出す

長い歴史の中で人間に求められたのは、

「いかに生き延びるのかという状況判断」でした。

 

変化を起こす、原始時代の例でいえば森に入って狩りに出かけることは、

乃ち死ぬかもしれないというリスクを冒すことでもありました。

 

だから人間はなるたけ安全な場所に身を置いて、危険を冒すことを避けるようになりました、本能で。

 

その名残が、我々の「安心できる精神の状態」(=コンフォートゾーン)を求めることに強く関連しているのです。

 

私は、もちろん現在人ですが、今もその初期人類の頃の本能を強く受け継いでいます。

(骨格が違うとか毛深いとか主食が生肉とかじゃないですよ)

 

つまり、挑戦(=変化)を心の底から恐れて避けようとするのです。

 

私は挑戦することが好きですが、

いざやったことのない小さな挑戦でもしようものなら猛烈な拒否反応が出てしまいます。というか立ち往生してしまうのです。

 

「やってみたいけどやりたくない!」というジレンマで。

 

多くの場合、長く悩んだ後に苦渋の思いでゴーサイン(挑戦に突撃)を出します。

毎度毎度、そこで思うのが「挑戦って大変だ」ということです。

 

以上のようにコンフォートゾーンから抜け出すのって非常に大変なんですよね。

恐れず挑戦する心

さぁ、そこで如何にして「恐れず緒戦する心」を構築していくとよいのでしょうか。

先に結論から言いますと、的確な答えは分かりません

そりゃそうですよ、未だにビビりまくり何ですから、私自身が

 

ただ、私自身がどのようにして、ビビる心を治めて「恐れず挑戦する心」らしきものを

作ってるのかを振り返ってみたいと思います。

 

私は「挑戦をすべきか、そうでないかというジレンマの後に決断をする」

と先ほど述べましたが、そのときある境地に達するのです。

 

それは「勢いで第一歩を踏み出せばいいや」という心情になるというものです。

「投げやりになる」ともいう。

 

挑戦することに対して思いを巡らせれば巡らせるほど、

挑戦によって生じるであろう嫌なことに目が向くようになります。

 

なので、挑戦したいという気持ちが少しでもあるならば、

もうそれ以上考えることはやめて、挑戦せざるを得ない状況に自分を追い込むしかないと考えるのです。

 

案外、一歩を踏み出せるとどうにでもなる気がしてくるものです。

 

したがって、やりたいとやりたくないという気持ちの板挟みになっているときは、

理性で行動することはやめて、直感と勢いで押し通すといいのかもしれません。

 

"Don't think. Feel!"

 

「考えるな、感じろ!」それが私なりの恐れに挑戦する心を構築するための答えです。

毎日の記録

  継続日数    一日の総合評価   精神状態良好度   身体状態良好度  出来なかった良行動
22
3
6
7
2つ

 

*出来なかった良行動

デジタルデトックス、詳細な記録

 

7月3日

情けないですね。確実な制御を(スマホ30分まで使用可など)しないと、

こんなに何回もジタルデトックスに失敗する自分が。

 

やはり、デジタルデトックスの内容を良習慣チャレンジのときと同じに30分以内の使用にしておくべきだったのでしょうか?

この方法は明らかな規制があるから面倒ですが達成するのは聊か簡単です。

 

しかし私の考えとしては、ただスマホの使用時間を気にして減らすというのは、

私の求める究極のスマホ使用方法とは違ってくるものだと感じるのです。

 

今は「規制ありきの無駄のない使用」の段階にいるわけですが、

いずれは「規制を意識せず無駄のない使用」が出来ることを目指しています。

 

これは、誘惑に負けるような軟な精神を持つ今の私では、

なかなかに難易度の高いものですが、負けじと、そして失敗を何度も繰り返しても、

達成したい目標でもあります。

 

意識を持てば不可能はないと考えるので、後悔を重ねて理想の自分に近づいていけるよう日々の努力と工夫を継続していきます

 

それでは、また明日。