えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

えりまと流ストレス解消走法

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ストレス解消法として始めたジョギングが、それをやること自体が1つのストレスとなってしまっていることがあります。

なんとも皮肉なことですが、 果たして解決法はないのでしょうか?



ストレス解消法がストレスとなる

ストレスを解消する一環として取り入れたはずのジョギング。

ですが習慣というものは、それが精神的余裕や、時間的余裕を奪うものとなり、

「やらされている」という感覚が生じてしまうと、ストレス解消法が翻って

ストレスとなってしまうことがあります。

 

私の場合、いつものようにちんたら走っていると、

「なんで、毎日こんな時間を設けてテキトーに走ってるんだ?意味なくね?」

と思ってくるようになっていました。

 

坂道も止まらず登りきることもせず、途中で歩くような状態です。

なんだか、これじゃ「進歩が見られないな」と感じていました。

 

大きな壁に直面する、または手段が粗雑になってくるとき、

こういったときには、今ある手段を改める必要があります。

私の場合は後者ですね、だらしない。

 

というわけで、テキトーな現状を変えるために

「私的」ストレス解消走法を考えて実践してみることにしました。

 

ストレス解消走法

えりまと流ストレス解消走法

  • 基本的にはいつも通り走る
  • 頭の中に日頃の鬱憤が蓄積して、はち切れんばかりのエネルギーが溜まっていることを示すような「鬱憤メーター」をイメージする
  • 溜まった鬱憤エネルギーを原動力とするように、猛ダッシュをする
  • ダッシュは適度な間隔と時間で自分のしたいように行う

 

期待していた方には申し訳ないですが、大した方法ではありません。

具体的なトレーニングの内容というより心の在り方を重視した走り方となっています。

精神的な問題は精神的な行為で解決するべきかなと感じたためこうなりました。

 

これですが、思いのほかスッキリしました。

心の靄が体の状態と連結して消えていくように感じとれるというのがそうなる

主要な理由だと思いますが、

ある程度の力を使って一生懸命に運動に取り組むことというのもそうなる一因だと感じています。

 

このことから、

「やっぱり運動はキツイぐらいの強度でやらないと効果がないのかなぁ」

と感じたものです。

 

余談 手を抜けば良いってもんじゃない

余談ですが、今回のことで分かったのは、

自分の取り組み方が甘々だったということですね。

 

ストレス解消法であるジョギングがストレスと化したのは、

自分に対する甘さと、そこから生じる中途半端な取り組み方が原因だったようです。

手を抜けば楽になるかと言えば、そうではないようですね。

 

気づかないうちに自分に対して甘くならないためには、

定期的な変化を積極的に行うことが大事になってくるんじゃないか、

と感じた次第です。

 

毎日の記録

  継続日数  

 一日の総合評価   精神状態良好度   身体状態良好度  出来なかった良行動
15
8
7
8
無し

この調子で「不可」をなくしていきましょう。

諸悪の根源であるストレスを分解して無毒化するために、

「瞑想」「マインドフルネス的思考」を専念していくことにします。

 

それでは、また明日。