えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

後悔や苦悩の先にあるもの

新芽

どうも、えりまとです。

悔やんでも悔やみきれない後悔や、非常な苦しみを味わうことが我々にはあります。

 

ただ、その先にあるものが一体何なのか

ということに触れることはあまりない気がします。

 

最近、そういった極地を味わい乗り越えた人の有り様をたびたび感じる機会があって、

そこから1つの気づきを得たのです。

 

今回は、苦悩や後悔の先にあるものは何かについて書いていきます。



後悔や苦悩の先にあるもの

後悔や苦悩の先にあるもの、それは乃ち

「人間としての真の成長」です。

 

なんだがとても当たり前のようなことですが、

それでも私はこのことをしっかり感じることができたとき

人が生きる上において重要なことはそこにあるのだという妙な確信を感じました。

 

私が見た、苦労の先にいた人は皆、

人としての器が大きくて、視野も広く、積極的に人を助けようとする揺るぎない信念

を持っていました。

 

それに比べると私は、関心ごとはみな自分のことであり、そのような気高き志を持ってはいません。私は、自分自身のことをなんとちっぽけなんだろうかと感じました。

 

このようにして、

苦労の先にある人々から「人として真に成長した様」を感じたのです。

 

裏を返せば見えるもの

このことを裏を返して言うと、

人として真の成長をするためには、耐えがたい後悔や苦悩を経験する必要がある、

ということが言えるのではないでしょうか。

 

それが絶対的な条件であるとは断言できませんが、

それでも、このことはきっと真実であると私は考えるのです。

 

本当に心から人間としての成長をしたいのであれば、

強烈な後悔や苦悩を味わう環境に身を置くと、

もしかすれば、真の成長を果たすことができるのかもしれません。

 

進んでそのような状態になることはお勧めできませんし、

私も現時点ではそうなりたいとも思いませんが。

 

本日のまとめ

 

  • 苦悩や後悔の先にあるものは、「人としての真の成長」である。
  • 真の成長を果たした在り方は、器が大きく人を進んで助けようとする慈愛の心を体現化したようなものである。
  • 「人としての真の成長」のためには、「強烈な後悔や苦悩」を体験する環境に身を置く必要があるかもしれない。
 

毎日の記録

 
  継続日数    一日の総合評価   精神状態良好度   身体状態良好度  出来なかった良行動
7
8
7
8
無し

 

それでは、また明日。