運を蓄えよ
どうも、えりまとです。
前回の「1ヶ月良習慣チャレンジ」と今やっている「2ヶ月良行動継続」に
入っていながら未だに一切触れることがなかった項目があります。
それは「一日一善」です。
何というか、書こうとする機会が無かったので放置することとなっていました。
はい、ということで今回は、
何故「一日一善」を取り入れているのかについて書いていきたいと思います。
運を蓄えよ
私は「運」がお金のように蓄えて、消費するものではないかと思っています。
そして、
運を蓄えるためには、「他人の役に立つこと」をし、
運を消費するときは我々の日常の中で幸運が引き起こされるとき
なのだと考えるのです。
では、それが正しいことだと仮定して話を進めましょう。
そこで大事になってくるのが、その「蓄え方」と「消費の仕方」です。
陰徳を積む
「運」を獲得するといってもその度合いは、やり方によって異なってくるのではないでしょうか?
「陰徳を積む」という言葉があります。
これは、人知れずに善い行いをするという言葉ですが、正にこの
「陰徳を積む」という行為が最も運を蓄える方法だと、私は考えるのです。
そして逆に「他人に見せびらかすようにして行う良いこと」をすると、
運は蓄えられても、「陰徳を積む」ことには敵わないと感じるのです。
以上のことから、
運が蓄えられる「善い行い」の仕方は次の通りになるのはないでしょうか。
陰徳を積む > 善い行い > 他人に見せつける善行
ですので「陰徳を積んで」運を蓄えるようにするのが最も良い方法となります。
運を消費する
「夜更かしをしたため、遅刻しそうになったが、運よく間に合った」
「見込みが薄かった志望校に運よく受かった」
この2つが「運」を消費した結果だとします。両者の違いは何でしょうか?
それは、「運」を無駄に消費しているかどうか、です。
1つ目は、「運の無駄な消費」が発生しています。
何故ならば、自分の不摂生が原因で不都合が起きそうになり、それを「運」を無駄に消費したことで防ぐことができたからです。
自己管理さえできていれば、そうならずに済んだかもしれません。
もしかしたらもっと有意義なことに「運」の消費ができたかもしれないのです。
2つ目は、「運の有意義な消費」ができていますね。
自分が望む事柄に「運」が寄与してくれています。本来、「運」はこのような
使われ方をするのが妥当だと感じます。
まぁ、そうはいっても我々はどれほどの「運」を蓄えているのか分かりませんし、
自分の好きなタイミングに使えるわけでは無いですよね。
ですが、
努力と意識次第で無駄な「運」の消費は少なくなるので、
結果的には有意義な、または賢い「運」の使い方が可能になる
とは言えないでしょうか。
つまりは、生活の中で修正できる「運」を消費してしまうかもしれない些事を
見つけて、浪費を回避できるように努めていくことが望ましいのです。
それは「運」の賢い使い方の話に限らず、
もっと一般的なもの、例えば、性格や他からの信頼、
自身の癖といったものも変容させてより良い方へ転換させることに繋がります。
本日のまとめ
- 「運」は蓄えて使うことができる。
- 「人の役に立つこと」を行えば、運は蓄えられる。
- 「陰徳を積む」ことが最も多くの運を蓄えられる。
- 回避可能な「運」の浪費をしていないか、自身に問いかけよう。
- 「運」の浪費を防ぐことは、「運」の賢い使い方につながる。
毎日の記録
継続日数 | 一日の総合評価 | 精神状態良好度 | 身体状態良好度 | 出来なかった良行動 |
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*油ものを食べたので「食事制限」が達成ならずでした、残念。
それでは、また明日。