えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

日常に発見を!

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どうも、えりまとです。

皆さんの日常に、「発見」はありますか?些細なことでも構いません。

 

「この『発見』というものが、日常の中で大切になってくるのでは」

と最近思うようになりました。

 

今回は「発見すること」の大切さについて書いていきます。



習慣化を通して

1ヵ月良習慣チャレンジをやり始めて、もう少しで1ヵ月目です。

途中から毎日記事を上げることにしたのですが、

だんだん書くことに困ってくるんですよね。

 

でも、そこでちょっと違和感を感じたんです。

というのも、私は今現在、一日に十数個の習慣を取り入れて生活をしているのですが、

「そんな修行みたいなことやってて逆に発見がなくなっていくの?

 しっかりやってたら、発見だらけになる筈でしょ」

と思ったのです。

 

とくに何かをやっているわけでもないなら、

「発見が(書くことが)ない!」となってもまだ仕方がないとは思います。

ですが、私は自身への挑戦としてそういった「習慣に取り組んでいる」のです。

 

習慣化を取り組んでいるのに、

何かしらの「発見」が1ヶ月弱でなくなるというのはおかしい。

 

これは、最早これ以上の成長がないほど習慣化が発達したということでしょうか?

 

んなわけありません。

習慣の項目ができない日もあって、それを「習慣化した」というには程遠い

ものである、というのが現状です。

 

そうなのではなく、結局私は、

「時間の流れに乗って生きていただけ」に過ぎなかったのです。

 

どういうことかというと、

日常に対する関心が弱化し、固定化された事柄(習慣)に固執してしまい、

「何かを自分で積極的にやろう」としていたつもりが、

「時間の流れにただ流されるままに消極的な活動のみをこなす」

ことになってしまっていた、ということです。

 

「発見」がなかったのは

私の意識が「発見すること」に、全く向いていなかったから

なのです。

 

日常に発見を!

そこで大事になってくるのがこの言葉。 「日常に発見を!」

 

日常の中に新たな「発見」を見出すということは、

 

流れる時間の中で、ただ移ろう物事を眺めるのではなく、

日常の中に転がるたくさんの、

心の成長行動を発展させるはたまた役に立つことはなさそうだが愉快である

そういった事物に帰着する「発見」を目を見張って探すようにすること

だと私は考えます。

 

そしてそういった「発見」をしようと心がけると、身の回りのことに

関心が向いて、積極的な関わりができるようになり、

「時間に沿って流される」ということが

「時間の主導権を握って生きる」ことに変化していくのではないでしょうか。

 

つまり 「発見をする努力をする」ということは、

時間の密度を大きくして充実感を生む、延いては人生を豊かにする行為

だといえるのです。

 

補足ですが、

「やるべきこと」「頑張るべき対象」

を持って取り組んではいるものの、

「何かが心に引っかかる気がしする」

「時間を無為に過ごている気がする」

...というような感覚に襲われる人は、

日常の中の「発見」を蔑ろにしているからそうなってしまっているのかもしれません。

囚われた心は乾いてしまうのでしょうね。

 

ですので、そう感じる人には是非生活の一端に、

        「日常に発見を!」

という言葉を取り入れて、そして意識してもらいたいです。

 

本日のまとめ

 

  • 目標やすべきことをただこなすだけでは大事なことが見えなくなるかもしれない。
  • なぜならば、その行為が「時間の流れに沿って漫然と生きる」という結果に至ってしまう可能性があるからだ。
  • 「日常の中に発見を見出そうとする」行為は、時間の密度を大きくする。そして日々の充実感を高め、人生を豊かなものにしてくれる。
  • 「日常に発見を!」という言葉を心の片隅に置いて、生きよう。

 

余談ですが、今回の記事名の「日常に発見を!」というのは、

ブログ開設当初の名前でもありました。

「日常の中の発見を見つけて人生を豊かにしていきたい」という思いがあったことを思い出せたので、いい刺激になりました。

(開設してまだ1ヶ月しか経ってないけどな)

 

これからも、日常の中でたくさんの発見をしていきたいです。

そして、何か発見するたびに嬉々とした表情と動作

あぁぁあッ!!!!Eureka!!!

と声高に叫喚していきたい。(変人じゃねぇか)

 

それでは、また明日。