えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

怒りの側面

anger


どうも、えりまとです。

 

「怒り」を覚えることってありますよね?

 

詳細は覚えてないんですが、私も何かに対して「怒り」を感じたんですよね。

でも、後からはたと考えてみたんです。

「なんでイラついたんだ?」と。また、

「この怒りは正当なものか?」とも。

そういうときって結構「自分のことしか見えていないとき」が多いような気がするんですよね。

自分に関して言えば、時間管理がうまくいっていないが故に感じた怒りが原因でした。

憤慨する感情の大元は自分自身にあったんですよね。

 

私が言いたいことは

「怒りには、それ以上に大事な側面がある」

ということです。

 

 

 

怒りを感じたから、その感情を外に表す、または、表に出さなくても、放置する、ということはあまり良いことではないのかもしれません。

では、そんなときどうすればよいか

その怒りを客観視して分解する、というのはどうでしょうか?

 

「あの人がこんなことをした!」

↓客観視して事実を分解する

「あれ?でも、これって、俺も気づかないうちにしているんじゃないか?」

 

とまぁ、これは一例ですが、このように、自分を外から眺めることが可能になります。

 

怒りの裏側にあるものが見えてくれば、何かしらの気づきが得られるかもしれないということです。

一種、「怒り」というのは自分自身に対する警鐘なのかもしれませんね。

「怒り」が発するサインを見逃さずにしっかり受け止めることができれば、人生は豊かなものになっていくんじゃないでしょうか?