えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

記録(2022年8月8日)*読書メモ(2022年8月8日 夏目漱石『二百十日・野分』)

記録(2022年8月8日)

読書1時間 ◎(計4時間)
英語学習15分
運動

ジョグ20分、日替わりプッシュアップ100回

ストレートバーディップス連続30回

HIIT(Bicycle Crunch→L-sit→V-Up→Trunk Curl→Flutter Kicks→Squats)各15秒計1分30秒

未回収分

読書635時間(8月の読書時間計16時間)

読んだ本
起床時刻

6:50起床

読書メモ(2022年8月8日 夏目漱石二百十日・野分』)

道也先生の信念について。

世は名門を謳歌する、世は富豪を謳歌する、世は博士、学士までをも謳歌する。然し公正な人格に逢うて、位地を無にし、金銭を無にし、もしくはその学力、才芸を無にして、人格その物を尊敬する事を解しておらん。人間の根本義たる人格に批判の標準を置かずして、その上皮たる附属物を以って凡てを律しようとする。この附属物と、公正なる人格と戦うとき世間は必ず、この附属物に雷同して他の人格を蹂躙せんと試みる。天下一人の公正なる人格を失うとき、天下一段の光明を失う。公正なる人格は百の華族、百の紳商、百の博士を以てするも償い難き程貴きものである。

夏目漱石二百十日・野分』139頁

人間の精神性の「良さ」よりも、見かけや名誉、物理的豊かさ、

といった外部に付随した「良さ」を重視しがちな今の世の在り方についての嘆き。

本当に「良い」ものは見つかり難く、大衆は分かり易い「良さ」を称賛する。

 

価値という言葉自体が間違った認識であるように感じますが、

それでも、一応、価値というものがあるのであれば、

本当に価値のあるものというのは希少で尊く失われやすい、と。

東洋的色合いの強い考え方ですね。

 

渡る世間に鬼はないと云うから、同情は正しき所、高き所、物の理屈のよく分かる所に聚まると早合点して、この年月を今度こそ、今度こそと、経験の足らぬ吾身に、待ち受けたのは生涯の誤りである。世はわが思う程に高尚なものではない、鑑識のあるものでもない。同情とは強きもの、富めるものにのみ随う影に外ならぬ。

夏目漱石『野分』100頁

一般には同情は、不幸な状況にある人々の精神を模倣し自身も同様に悲しむこと、

という認識がありますから、この「強きもの・富めるものにのみ随う」というのは、

おやと思わせる表現ですね。

 

「他者が同情せざるを得ない」という状況を提示できる者、

であるとすれば、確かに、強きもの・富めるものかもしれませんね。

そういう認識でよろしいでしょうか。

記憶が朧気ですが、ニーチェがこれに類したことを言っていたような気がします。

何だったかな。そもそもそんな叙述があったかな...

 

それでは、また明日。