記録(2022年7月29日)*「隠れてる」も品であるなぁ、という気づき
記録(2022年7月29日)
読書1時間 | ◎(計1時間) |
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英語学習15分 | ◎ |
運動 |
ジョグ20分、日替わりプッシュアップ100回 HIIT(Bicycle Crunch→L-sit→V-Up→Trunk Curl→Flutter Kicks→Squats)各15秒計1分30秒 |
未回収分 |
読書645時間(7月の読書時間計67時間) |
読んだ本 | |
起床時刻 |
5:30起床 |
「隠れてる」も品であるなぁ、という気づき
品の源流を遡ると、大体「ゆとり」に辿り着く。
「品とは何か?」という問いに対する答えはこれでした。
昨日、往来を歩いていますと唐突に「隠れてるということも品であるかも」、
という新たな気づきを得ました。
「隠れている」とはつまり、視覚的にもしくは感覚的に、
「ああこれだ」と他人が感知出来る状態で何かが表出していないことです。
そこに奥ゆかしさがあるように思うのです。
この概念に近しいことわざは「能ある鷹は爪を隠す」ではないでしょうか。
「素晴らしき才能でも必要な時に必要な分を発揮する」で留めておく。
むしろですね、とんでもない才能を持つ人があっても、
それを声高に喧伝していたら、なんとなく惜しい感じを覚えてしまうはずです。
つまり「隠れている」ことに対する本人の態度が重要になると思うんですよね。
卓越した能力も、平生は意識に上らないからこそ「隠れている」。
本人は別段、そこに何かしらの意識を働かせていない。
「隠している」わけではなく、
他者から見れば特別な才能も本人の中では普通のこととみなされているから、
そこに特別な価値が置かれていない。だから「隠れている」。
そういうニュアンスです。
こういう消極的態度からくる奥ゆかしさが、品を醸成するように感じられます。
それでは、また明日。