えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

記録(2022年3月11日)*物を300個手放す

記録(2022年3月11日)

読書1時間
瞑想3分
運動

ジョグ20分、日替わりプッシュアップ100回

HIIT(Bicycle Crunch→V-Up→Mountain Climber Twist→V-Up)各60秒計3分

未回収分

読書674時間

読んだ本

無し

物を300個手放す

なんか今のままだと不味いなと感じています。

対処法の1つとして「300個物を手放し」ました。

 

かなり意味不明ですね。

ですが、正解であると確信してます。根拠はありません。

ここ1年以上「物を手放すこと」を義務だと考えています。

好ましいことであると感じているので問題はないです。

 

健康状態で物事に対する好ましさってのが理解できると思うんです。

どんな好きなことでも、体調が悪いと気乗りしないでやりたくなかったり、

ワクワクしなかったりしますよね。

 

私の場合は作曲がその指標となってます。

精神的に調子が良いと「曲が作りたい!」と思えます。

逆に不調だと、そう思えなかったり、なかなか作業が進まなかったりします。

その他の諸活動に関しても、こんな具合の好ましさを持っているわけです。

 

しかしですね。「物を手放す」、この活動に関しては、

そういう不調状態にあっても、平常通り好ましく感じられるんです。

鈍くとも「できるならやっておこう」と、起源不明の意欲が湧いてくるんです。

 

閑話休題。とにかく断捨離が急務だと感じたので、

カウンターで数を数えつつ物を300個手放しました。

 

私は元来、物を捨てられないタイプの人間なので、

物を手放そうとすると未だに抵抗感を覚えます。

物が捨てられない、という気持ちがよく分かるんです。

 

物を過去の自分自身や大切な誰かそのものである、

と感じてしまうんですよね。だから捨て難い物が出てくる。

 

とは言え、物は自分を同じ場所に縛り付ける楔でもあります。

物によって、特定の環境と習慣が形成されるのはいつかの記事に書いた気がします。

ひとたび習慣のトリガーを引けば、その習慣が有無を言わさず発動します。

好ましい習慣であれば何もいうことはありません。

が、私は余計な習慣ばかり身につけるので、どうにも悩みの種になりがちです。

 

「同じ場所に留まり続けていても仕方が無い」

「使わないものを後生大事にしていても仕方が無い」

「いつか、は来ない!来た覚えが無い」

「物を手放したことで、枕を濡らして眠れなくなるほど後悔したことはない」

「この痛みによってまた強く慣れる」

と呪文を唱えて、なんとか300個の物品とさよならしました。

今まで、ありがとう。

 

 

依然として、「物を手放したい」という反物欲は続いています。

 

それでは、また明日。