記録(2022年1月6日)*読書メモ(1/6/2022)
記録(2022年1月6日)
読書1時間 |
◎(計4時間) |
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瞑想15分 |
◎ |
英語学習1時間 |
◎ |
ブログ更新 |
◎ |
運動 |
ジョグ20分、日替わりプッシュアップ100回、チンアップ50回 ストレートバーディップス50回、タックプランシェプッシュアップ0回 HIIT(Bicycle Crunch→V-Up→Hollow Body Rock→Mountain Climber→V-Up→Leg raises→V-Up→Trunk Curl→russian twist)各20秒2回計6分 |
0回(計45300回) |
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未回収分 |
読書651時間 |
回収分 |
読書3時間 |
読んだ本 |
読書メモ(1/6/2022)
第三夜
- 自由とは何か→自己と他者の課題を明確にして「嫌われても良い」という勇気を持つこと
- ドストエフスキー「貨幣とは鋳造された自由である」
- アドラー心理学では承認欲求を否定
- 承認がなぜ必要か?→自身の価値の実感のため?
- 承認欲求の根本には賞罰教育がある
- 賞罰教育:適切な行為をしたら誉める、不適切な行為をしたら罰する
- 賞罰教育は「他人の目」がある場合に機能する、と言う状況に陥りやすい
- 人が見てるから良いことをする
- 人が見てないから良いことをしない
- 人が見てるから悪いことをしない
- 人が見てないから悪いことをしない
- 承認欲求があるのは、「社会的な地位と安全性を確保し、他者に殺されないため(現在のような倫理観の成立していなかった原始社会では他者大勢から嫌われていると殺されてしまう場合が多々あった)」という理由があったのをどこかで見た気がする
- 承認欲求の根本には賞罰教育がある
- 他者の承認を求めて生きると「他者が求める自分」を生きることになる
- そのため「他者の期待を満たすために生きるべきでない」
- 「他者は自身の期待のために生きているのではない」ともいえる
- 期待や信頼の押し付け→他者の課題への介入となる
- 承認がなぜ必要か?→自身の価値の実感のため?
- 課題の分離
- その行為が誰の課題であるかを理解し、他者の課題に踏み込まない、口出しをしない
- 例)宿題をしない子どもを親が叱る
- 宿題は子供の課題であって、そこに親が干渉するべきでない
- 課題は誰の物かを見分ける方法→「その結果を受けるのはだれか?」
- 宿題をしない子供自身が将来その結果を得る、親は直接的にはその影響を受けない。影響があると感じるのは、子供の課題と自身の課題が分離できていないから。
- 結局、自分を変えられるのは自分だけ、自分が信じた最善を全うするしかない
- 他者の課題を切り捨てる
- 「自分の課題と他者の課題を明確に理解し、他者の課題に踏み込まず、自分の課題に他者を踏み込ませない」
- 他者の課題への介入=自己中心的発想
- 「自分の課題と他者の課題を明確に理解し、他者の課題に踏み込まず、自分の課題に他者を踏み込ませない」
- 他者の期待を満たすように生きる、自分の人生を他人任せにすること...というのは
- すべてに対して嘘をつき続けて生きることと同義
- 傾向性:他者から嫌われたくないと思う欲望のこと
- 嫌われる勇気
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- 悩みの全ては対人関係
- 対人関係を一切なくして社会生活を送ることは出来ない
- 「自由=他者から嫌われること、嫌われることを構わないようになること」
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- 相手の課題に介入しない、介入による見返りを求めない
自分の課題と他者の課題を明確に分け、自分の課題に他者を介入させないように、また、他者の課題に介入しないようにしよう。他者を変えることは出来ないし、変えようと考えることがナンセンス(自分のことを好きになるか、嫌いになるかは、その人次第。自分にはどうにもできない。)。他者が変わらないとしても、ただただ自分自身のマインドを変えるしかない。場合によっては、それに伴って他者の自身に対する接し方も変化してくる。
それでは、また明日。