えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

記録(2021年12月6日)*反物欲という名の執着

記録(2021年12月6日)

読書1時間

瞑想15分

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ブログ更新
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ジョグ20分、プッシュアップ100回

HIIT(Bicycle Crunch→V-Up→Hollow Body Rock→Mountain Climber→V-Up→Leg raises→V-Up→Trunk Curl→russian twist)各20秒2回計6分

スワイショウ

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未回収分

読書664時間

回収分

無し

読んだ本
  • ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか? 下』村井章子訳
  • Lawrence Weinstein and John A. Adam『サイエンス脳のためのフェルミ推定力養成ドリル』山下優子・生田りえ子訳
  • 国本大悟・須藤秋良秋良『スッキリわかる Python入門』
  • ミルトン『闘技者サムソン』中村為治訳(読了)

12月の目標

  • 毎日、記録以外の事柄を記事に書く

反物欲という名の執着

1年前、1日1食を行った後に完全にギアが切り替わり、物欲が大体消滅しました。

理由はよく分かっていないです。

しかし、この2年間で徐々に物欲が希薄になっていることには間違いありません。

 

一般的には、物欲が無くなる=執着が無くなる、

というような認識がよくなされます。

この執着がどの範囲の執着を意味しているのか分かりませんが、

概ね、間違いはないようにも思われます。

 

(というか、執着の無い人が結果的に物欲が少なかった、というような感じですかね。

物欲が止まらないのに執着心が無い、とは聞きませんしね。)

 

しかし、私の場合は物欲と執着はイコールで結べないような状態にあると考えます。

物欲は確かに無くなっているのですが、

物に関するある種の執着は存在しているんですよね。

 

それは、「物が少ない状態を極端に好む」ことです。

 

「物を欲しがる」という欲望(執着)が一般的には多くの人々に認識されています。

しかし、この欲望の対になっている欲望が実は存在しているのです。

 

それは「物を排除したがる」という名の欲望(執着)、

ここでは反物欲とでも名付けておきましょう。

 

私は、この反物欲に捕らわれています。

「物がない状態」を好み、それが実現できなければ心が曇ってしまうのです。

こんな状態で、本当に執着を離れた人であると言えるのでしょうか。

 

物に関する「本当に執着が無くなった人」というのは、

物欲と反物欲、どちらもが無くなった人を指すんじゃないかな、と思います。

 

この反物欲に関して、私は大いに気に入っていますし、

不都合を物欲以上に感じていませんので、問題視はしていません。

 

しかし、何かのきっかけで反物欲すらも消失したならば...

人間はどうなるんでしょうか。よく分かりませんね。

 

それでは、また明日。