記録(2021年12月6日)*反物欲という名の執着
記録(2021年12月6日)
読書1時間 |
◎ |
---|---|
瞑想15分 |
◎ |
英語学習1時間 |
◎ |
ブログ更新 | ◎ |
運動 |
ジョグ20分、プッシュアップ100回 HIIT(Bicycle Crunch→V-Up→Hollow Body Rock→Mountain Climber→V-Up→Leg raises→V-Up→Trunk Curl→russian twist)各20秒2回計6分 |
スワイショウ |
0回(計45300回) |
未回収分 |
読書664時間 |
回収分 |
無し |
読んだ本 |
|
12月の目標
- 毎日、記録以外の事柄を記事に書く
反物欲という名の執着
1年前、1日1食を行った後に完全にギアが切り替わり、物欲が大体消滅しました。
理由はよく分かっていないです。
しかし、この2年間で徐々に物欲が希薄になっていることには間違いありません。
一般的には、物欲が無くなる=執着が無くなる、
というような認識がよくなされます。
この執着がどの範囲の執着を意味しているのか分かりませんが、
概ね、間違いはないようにも思われます。
(というか、執着の無い人が結果的に物欲が少なかった、というような感じですかね。
物欲が止まらないのに執着心が無い、とは聞きませんしね。)
しかし、私の場合は物欲と執着はイコールで結べないような状態にあると考えます。
物欲は確かに無くなっているのですが、
物に関するある種の執着は存在しているんですよね。
それは、「物が少ない状態を極端に好む」ことです。
「物を欲しがる」という欲望(執着)が一般的には多くの人々に認識されています。
しかし、この欲望の対になっている欲望が実は存在しているのです。
それは「物を排除したがる」という名の欲望(執着)、
ここでは反物欲とでも名付けておきましょう。
私は、この反物欲に捕らわれています。
「物がない状態」を好み、それが実現できなければ心が曇ってしまうのです。
こんな状態で、本当に執着を離れた人であると言えるのでしょうか。
物に関する「本当に執着が無くなった人」というのは、
物欲と反物欲、どちらもが無くなった人を指すんじゃないかな、と思います。
この反物欲に関して、私は大いに気に入っていますし、
不都合を物欲以上に感じていませんので、問題視はしていません。
しかし、何かのきっかけで反物欲すらも消失したならば...
人間はどうなるんでしょうか。よく分かりませんね。
それでは、また明日。