えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

記録(2021年1月2日)*主観と客観の乖離・齟齬

記録(2021年1月2日)

読書1時間 ◎(計3時間)
瞑想15分
英語学習1時間
ブログ更新
運動

ジョギング20分,プッシュアップ100回,ハンドスタンド練習

(Vクランチ15,トランクカール15,ツイストシットアップ20)×2

ヒューマンフラッグ30数回,フロントレバー練習

 アンイーブンチンアップ左右25回,ハンドスタンドホールド1分×2

トーズトゥーザバー50回、ジャンプオンザバー練習

マッスルアップジャンプオーバー練習

スワイショウ 400回(計1000回)
未回収分 読書754時間、英語学習5時間
回収分 読書2時間
読んだ本
  • ジャン・エルベール『霊性に生きる人ラーマクリシュナの教え』深澤孝訳 191~199頁
  • 中村元中村元が説く仏教のこころ』保坂俊司補説1~27頁
  • 齋藤勝祐『知っておきたい有害物質の疑問100 防水加工剤でコレステロール値が悪化?ピーナッツのかびに発がん作用?』1∼229頁(読了)

10:30起床。午前3時過ぎまで妙な動画を作っていたら、

楽しくなってついつい夜更かししてしまいました。

 

モンブランを食す。これ、初めて食べた気がするんですが、美味しいですね。

9日まで制限。

主観と客観の乖離・齟齬

数年会っていない友人と話をしました。

驚かされたのは、私(主観)と友人(客観)の、

「数年前の私自身に対する評価」の大きな乖離・齟齬です。

 

その時のことを今考えると、あまり好ましいとは言えない状態でした。

「良くあろう」とする現行の在り方を逆行させた姿が過去の私であるわけですから、

そう思われるのも当然っちゃ当然です。

また、当時のことを殆ど忘れてしまっているので、記憶が曖昧模糊としてるのも事実。

 

そんなわけか私はその当時を「良くなかった」と評価しています。

が、友人はというとその真逆。「良かった」と言うんですね。

主観と客観が180度、相異なっています。

 

昔のことを振り返るとき、自分の視点からでしか過程を見つめることは出来ません。

独自の信念、生きている間に知らずに成長させてしまった偏りのある見方、

それらが只一つのフィルターとなって過去を二元的に判断してしまうのでしょう。

だからこそ、悪い点だけが強調されてしまい、

何か大切なことを見過ごしてしまう可能性がある、と気づかされました。

是非を決めるのは、簡単なものではない、存外複雑なものである、と。

 

今の私が気づけていない昔の私の良さ。その正体は掴めていません。

今それが欠如してしまったのかどうかも分かりません。

しかし、それを明らかにすることが過去をそのまま認め、

今の自分を後悔無く生きることに繋がりそうだと感じました。

「自分を認める」というのはこういうことなんでしょうか。

 

偉人の中には、後世になってやっと妥当な評価をされる人がいますが、

それと同じようなことが我々の在り方にも起こっているのかもしれませんね。 

 

それでは、また明日。