記録(6月27日)*本能は楽観主義、理性は悲観主義
記録(6月27日)
読書1時間:◎(計3時間)
瞑想15分:◎
英語学習30分:◎
ブログ更新:◎(朝)
運動:ジョグ20分(計620分→計640分)
:腕立伏せ200回(計4200回→計4400回)
:縄跳1000回(計31000回→計32000回)
:マッスルアップ0回(計645回)
食事制限:5日目
スワイショウ:500回(計126000回)
脱怠惰:2日目
未回収の良行動:読書969時間
回収分の良行動:読書2時間
本能は楽観主義、理性は悲観主義
- 読書30時間回収
今月の目標の上記1つを達成。残るは腕立伏せのみとなりました。
2週間ほど前に無理をして手首を痛めてから、
暫く休んで(サボタージュ)いたためにこの項目のみ大幅に遅れています。
再開したのは一昨日(6/26)です。
手首の様子と過去の怪我(足裏、腰、肩)から目標の差し替えを考えましたが、
何ともそれは自身の中で腑に落ちないように思えたので、
「ええいままよ!」と腕立伏せ5000回を強行達成することにしたのですね。
私の中の本能が理性を打ち負かしたとも言えます。
理性は「怪我が長引いても知らんぞ」と尤もな呪詛を吐いていますが、
本能は「放っておけば治る」と根拠のない楽観論を繰り返しています。
今、コイツ(本能)に主導権を握らせて大丈夫なのか...と些か疑問ではありますが、
やはり私自身も元来楽観主義的傾向の強い年中脳内お花畑人間なので、
「まぁ大丈夫だろう」と高をくくって再開してしまったわけです。
そこで気づいたのが「本能は楽観主義である」ということ。
時に頼もしく時に危うく本能はその性質故に、
怖いもの知らずの鉄砲玉のように猪突猛進し己の欲求を満たそうと画策します。
対して理性は悲観主義的。
待て待て落ち着け気をつけろ、災難いつでも側に在り、
と先に在る様々な危険因子を感知し、馬の手綱を引くようにして本能を制している...
というようなイメージが浮かびました。
そして問題となるのは一人格におけるこの両者(本能と理性)の比率でしょう。
どちらか一方があまりにも強力に作用していると...
「崖から落ちても大丈夫だろう、それおいらが試してみせよう!...ゴキャ!(骨折)」
「ああ、寝てるときに死ぬかもと考えるとおちおち眠れやしない、不眠の夜が続く...」
..というような状態にも(極端ですが)なりかねないのです。言い過ぎですかね。
とは言え、人間、ひいては生き物はよく出来ているので基本的には、
自身の生命が危険に脅かされればそれを回避するための相応の行動を取るため、
常に本能(または理性に)にギアが入っている、というようなことは無いようです。
少なくとも私は周りで見たことがありません。
世の中は広いのでそのような方も居るのでしょうが。
最後に、これらの粗雑な発想から導き出された「生活に活かせるであろうこと」を、
偉そうに述べて久しぶりの内省を終えることにします。
行為・精神状態に不満や違和感を感じる際には、
「本能と理性がどのくらいの割合で自身を主導しているのか」、
を考えることで客観的にそれらに偏りがあるかどうかを判断する目安になり得る。
多くの本に書かれてそうなことですね、
もしかしたら昔このようなことをどこかで読んだのかもしれません。
自己啓発書のみを集中的に読んでた時期があったことをふと思い出しました。
それでは、また明日。