えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

記録(3月31日)*自身の物事への観点を再度内省

記録(3月31日)

  読書1時間:◎(計7時間)

  瞑想15分:◎(計30分)

英語学習30分:◎(計1時間)
  ブログ更新:◎(朝)
     運動:ジョギング40分、ノーマルプッシュアップ200回、懸垂30回

   食事制限:5日目

 スワイショウ:2000回

未回収の良行動:読書135時間

回収分の良行動:読書6時間

自身の物事への観点を再度内省

考えること、を最近放棄していますね、私。

初期のころは、世間一般に染み渡っているようなことでも、内容が薄っぺらでも、

とりあえず一つの記事にまとめていました。

兎に角「何かを発見せねば!」と、考えあぐねいたものですが、

今となっては記録をメインに綴るようになりましたからその必要性もなくなり、

思考の類の記事<事実の記録の記事、となってきています。

(稚拙な思考を書くのが恥ずかしいと思い始めたわけでもありますがね。)

 

私は何かの型にはまると、その型を重視して維持しようとする癖があります。

(ともすればそれが人間が生きる上で身に着けた性なのかもしれません。)

自身にとって現在ベストな型、を作るようにはしているのですが、

その癖故、とりあえず型に固執してしまい、形骸化してしまうことが多々あります。

 

ですから適度にその型をぶっ壊して新しくしていかなければならない。

そしてその手段は「深く考えること」だと考えています。

深く考えるには常日頃から自身の中に落とし込める事象を目敏く発見するよう意識し、

手持ちにある他の思考とをああでもないこうでもないと時間をかけて、

難儀しながら結び付けていくことが肝要になるでしょう。

 

このことは既に1年ほど前に気づきを得て記事にもしていました。

久しく忘れていましたね、少し引用させてもらいます...

 

日常の中に新たな「発見」を見出すということは、

流れる時間の中で、ただ移ろう物事を眺めるのではなく、

日常の中に転がるたくさんの、

心の成長行動を発展させるはたまた役に立つことはなさそうだが愉快である

そういった事物に帰着する「発見」を目を見張って探すようにすること

だと私は考えます。

watoma.hatenablog.com

 

...だそうです。これは一種童心に帰るようなものではないでしょうか。

子どもは何でも興味がります。一方で大人は大抵なんでも知っている...

かのような振る舞いをしてしまいがちです。

心が膠着してくる、サビれて石のように固くなってしまうようなものでしょうか。

私も世間の波に呑まれて、そういう意味で「大人」な心になりつつあるようです。

 

成程。今の観点を改めてみようと思えてきました。

自身が吐き出した遺物(過去記事)は特に見返すこともありませんでしたが、

存外、役に立つのかもしれません。「日常に発見を!」。

 

それではまた明日。