えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

否定的思考が情熱を生むこともある 

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あなたにとって何が行動の原動力、換言して「行動を起こす情熱」となりますか?

私の場合だと否定的思考が情熱を生み出すことが多いです。



否定的思考が情熱を生むこともある

前回の記事では、

「肯定的思考から枯れない情熱を生むことは難しい」ということについて書きました。

 

もう一度、その理由を確認してみましょう。

  • 夢や目標が心の底から望むことではないから
  • 夢や目標に危機感を感じることではないから

そして、それに対する対処法は以下の通りでした。

  • 夢や目標が心の底から望むことを夢や目標にする
  • 夢や目標に危機感を感じるようにする

 

要は、心の底から望むような夢や目標を見つけるのが難しいというのが、

その主たる理由だったわけです。

 

じゃぁ、視点を変えてみることにしましょう。

そこで表れる考えというのが「否定的思考が情熱を生む」ということです。

 

内容を端的に言うと次の通りです。

  • なりたくない姿を避けるために情熱が生まれる(=なりたくない姿を恐れているともいえる)

 

どういうことなのか、詳しく見ていきましょう。

なりたくない姿を避けるために情熱が生まれる

「なりたい姿になること」「なりたくない姿を避けること」

 

この2つのどちらか一方を選ばなければならないとき、

あなたならどちらを優先しますか?

 

私は「なりたくない姿を避けること」を選ぶことでしょう。

その理由は以下の通りです。

 

「なりたい姿」に対する思いが強くても、あくまでそれは自分の先にある姿であり、

自分が経過したことのない状態であるため、

「別の自分」として認識してしまうことが多いです。

 

「なりたい姿になること」というのを言い換えると「別人になれ」

ということになるのではないでしょうか。

これは、想像することが難しいですね。

 

かたや「なりたくない姿」のほうは、自分よりも下の段階にある状態であり、

自分の経過した状態から想像することが容易く、

連続した今の自分の末路として認識することが多いため、

「そうなることを避ければよい」という考えに至ります。

 

つまりは「創造」と「回避」

そのどちらがより現実的な手段となりえるのかということを言っているのです。

 

「なりたい姿」を追うことはそれが達成されるのかは分からないし、

時間もかかるかもしれないので、現実となる可能性は低い。

しかし「なりたくない姿」は何の対策も努力もしなければ時間の経過とともに、

徐々に、確実に現実となる可能性が高い

 

かみ砕いて言えば、

『「なりたい姿」には絶対に努力が必要でなれるかどうかわからないけれども、

「なりたくない姿」は何をしなくても必然的にやってくる』

と言っているのです。

 

『「なりたくない姿」というのは現在進行形で侵食する』

だから、それを回避するための努力が必要で、情熱が生まれやすいと考えるのです。

 

また、この「なりたくない姿を避ける」というのを感情に当てはめると、

「恐怖」や「恐れ」に相当するものなのではないでしょうか。

 

人間が生きるために獲得した性質のうちに、

『一番に「恐怖」や「恐れ」の感情を排除する』という性質を我々が備えていると、

私は考えます。

 

古代、人間が自然界の中で暮らしていた時、

当時の人々は「恐れる状況」を第一に避けたことでしょう。

なぜならば、その「恐れ」に支配された状況下では自分の身の安全が確保されず、

「いつ死んでもおかしくない」環境にあった筈だからです。

 

「恐れ」が暗に意味することは「生か死」であったとも言えるのではないでしょうか。

 

そのため我々は今でも、

その名残から「恐れ」(=ここでいう「なりたくない姿」)を、

取り払おうと必死になります危機感を感じて

 

再度、「肯定的思考から枯れない情熱を生むのは難しい理由」を見てみると、

そのうちに「夢や目標に危機感を感じることではないから」というものがありますが、

「なりたくない姿を避けること」というのはその要件を満たしていますね。

 

こういった経緯があって、否定的な感情が、換言してなりたくない姿を避けることが、

情熱を生むのだと述べているのです。

 

毎日の記録

  継続日数    一日の総合評価   精神状態良好度   身体状態良好度  出来なかった良行動
26
10
9
8
無し

*回収した良行動(7月8日)

  • 読書3時間

7月7日

本日の特筆すべき点は、目覚めが非常に良かったことです。

すんなり起きれただけでなく、力が全身に漲っていて、幸福感に満ちていました

 

こんなに気持ちの良い目覚め方が出来たのは久しぶりです。

何故そうなったのかは、良く分かりません。

 

ですが、自分の行動でこの最高の目覚めを得ることが出来れば、

きっと毎日がもっと楽しくなるのではないか、と考えています。

 

ですので今は「最高の目覚めが出来るにはどうすればいいか?」

について日中の在り方と寝る前の行動について模索をしているところです。

 

何か分かって形にできるようであれば、記事にでもしたいと思います。

 

それでは、また明日。