えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

完璧主義から脱却せよ

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どうも行動の伴わない完璧主義者のえりまとです。

あれですね、それじゃ完全に意識高い系の人ですね。

今回は、 完璧主義を止めようということについて書いていきます。



 完璧主義とは

完璧主義(かんぺきしゅぎ、英: Perfectionism)とは心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと 。 定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。

 

出典:「完璧主義」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版

2019年6月7日 6:22 UTC

URL:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8C%E7%92%A7%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 

「いつでも100%!中途半端なのは許さん、滅却してやる!」ということですね。

 

「習慣を身に着けたい」という人との相性は最悪だと思っています。

その人が完璧主義かつ、本当にすべてをこなす能力があるなら問題なしです。

ですが私のような軟弱者(行動の伴わない完璧主義者)は

きっと、習慣を身に着けるときに苦しむはずです。

 

何故なら、

習慣を身につける上で「続かない」ということを乗り越える心構えができない

からです。

 

私にとって物事は0か100のどちらかです。

習慣でいうなれば「できた」が「できなかった」です。

50というのを習慣でいえば「やったりやらなかったり」ですが、

それは駄目だと感じているんですね。

 

習慣化において大切なことの1つは、「長い目で見て継続できているかどうか」です。

 

「10日間休まずに習慣のため取り組めたが断念した人」と

「3か月やらない日も多いが、続いている人」

 

を比べたとき、後者のほうが発展があるように感じます。

 

前者は10日間頑張りましたが、そこで諦めてしまいました。

頑張った分もやめてしまったのでパァです。

 

一方後者はまちまちではあるものの、3か月続いているのです。

あとは徐々にその回数を増やしていけばいいだけのこと。

 

両者を他のことばで例えると

 

前者は「最初から完成の状態で作成する」で

後者は「土台ができているので、後は肉付けをするだけ」

 

ということが言えると思います。

 

故に完璧主義はその性のために習慣を会得する難易度が高まる、と考えるのです。

(先ほども述べたように、例外もありますが。)

 折れない柔軟性を

では、どうすべきでしょうか?

 

折れない柔軟性をもって、立ちなおす即効力と粘り強さを得ること

 

を完璧主義の代替としましょう。

完璧主義から脱却する術を具体的に書きますと、以下の通りです。

 

  • 普遍的な100%を目指さず、状況に適応した最良を求める
  • いつでも8割の実力で挑み、続かなくなることを避ける
  • 失敗から学び何度でもすぐに立ち直る

 

 完璧主義は損をするか?

完璧主義はその「何かすべきこと」に固執して、

それをやり通そうとするあまりに、

大切なことを見落としたり、本質を見失ったりすることがある、

と私は考えます。

 

私自身がそうですので、何というか、視野狭窄になってしまうんですよね。

もしそれが本当なら、完璧主義者は損をしかねないことになります。

「万全のために万全を失う」というのは皮肉なものです。

 

 

私は、行動を完璧に起こせる人間ではないので、脱完璧主義を目指します。

柔軟に生きていこう!

 

それではまた明日。