えりまとの在る所

記録を綴って愉快に生きようと試みる

習慣によるストレスがえげつない

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どうも、えりまとです。

良習慣チャレンジを始めて2週間が経過しました。

最近の問題点は強力なストレスが襲ってくることですね。

 

今回は 習慣によって生じるストレス について書いていきます。



  習慣⇒義務

 良習慣を取り入れようとすると一般的に1つだけのものを気軽に続けていくということをよく耳にします。

しかし、それでもやはり習慣を継続することは難しいです。

 

習慣とは本来、望む姿のために重点を絞って粘り強く継続するものです。

そして、それを続けていくことで一種の「基本動作」として体に染みつき

無くてはならないものとなるのです。

 

 

しかし、今の私のように十何個も、そして達成するには時間をかなり必要とするものを

習慣としてやっていくとどんなことが起こるでしょうか。

 

答えは、習慣が強力な義務へと変貌し底なしのストレスを発生させるのです。

 

 習慣によるストレス

その状態が現れたのは先週の金、土のことです。(5月23日、5月24日)

 

まず金曜の夕方、家に帰るときのことです。

「習慣を続けることに対するストレス」

「一週間を乗り越えた、頑張ったという」気持ちがないまぜになり

得も言われぬ無気力感が発生していました。

日記にはこんなことを書いています。

 

 5月23日
精神がマズイかもしれない。 
大分追い詰められている。ここで崩壊するか、強くなるか、どちらかだ。 

 

いや何と戦ってんだよ!大丈夫か?

改めて見てみると切迫感が漂ってますね。

 

今は何ともありませんが確かにこの時は精神的にやばかったです。

無感情で無気力だったのを覚えています。

 

そして次の日(5月24日土曜日)

ついに何かが音を立てて崩壊しました。

 

起きた時間がいつもより2時間ほど遅く、

相も変わらず鬱屈した精神は回復していませんでした。

やる気も減退し、時間のかかる習慣に取り組むのも億劫で心苦しかったので、

一日中ネットサーフィンをする始末。

本来やるべき習慣16個中、達成できたのは5個という体たらく。

(日曜と今日で回収しています。)

 

これが習慣を強制したことによるストレスと言わずして何といえようか?

 

「闘争か逃走か」

さて、「良習慣」「義務の化け物」と化したとき、

我々はどう対処すべきでしょうか?

 

今まで私は、勉強したり頑張ったりした後はよく怠惰が発生していました。

これはいわばストレスを最大限緩和させる方法だったのかもしれません。

私はそうなることを望んではいませんでしたが、

確かに、数日怠けると、気力が充満して頑張ることはできました。

 

つまり、頑張りに伴う怠惰は悪いものではなかったのです。

 

しかし私は、柔軟性を欠いた完璧主義者なので、それが許せません。

「物事は0か100、そのどちらかだ!」

としないと気が済まない質なので、頑張っているのに怠けるのは心外なのです。

 

「闘争か逃走か」となったとき私は今まで全力の「逃走」を選択し続けてきました。

ですが、更なる成長のためにも、良習慣で自分を変えるためにも、

ここは「逃走」という選択肢を投げ捨て「闘争」しなければなりません。

 

怠けるという手段で強大なストレスを鎮めるのでなく

建設的な行為をもって対処せねばならないのです。

 

という訳で、

時間と心の余裕を奪う十数個の良習慣によって生じるストレスを

建設的な行動で解消する術

を探していきたいと思います。

(もしくは続けていくうちにストレスに耐性が付くかも)

 

もとはと言えば調子に乗って良習慣を増やしたのがいけなかったですね。

軽率な行為は控えろということでしょうか?

 

猶更、抗ってみせます!

(マジで体調崩すぞ)

 

 

それでは、また明日。